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みんな安心のパート

労働力不足対策として多くのトルコ人を受け入れたドイツは、その後、その社会的コストに苦しんでいる。 子供をつくるかどうかはあくまで個人の自由な選択である。
少子化対策として子供をつくれという話は時代錯誤も甚だしい。 それよりも、子供を欲しいと思っている夫婦が安心して子供を生み育てられる環境の整備が重要である。
子育てしやすい国をつくる子育て支援サービスは重要な社会インフラなのである。 ただし、厳しい財政制約があるから、補助金などの公的資金は支払い能力のない人々向けに集中し、支払い能力のある人はできるだけ民間の子育て支援サービスを利用すべきである。
そのためには、本章で述べてきたような思い切った規制の緩和が欠かせない。 社会が高齢化してくると健康に不安を持つ人が増えてくる。
病気になったら誰が面倒みてくれるのか、安心できる医療サービスはあるのか、適切な医療サービスはどうしたら得られるのかなど、医療についての関心も高くなる。 マクロ経済の視点からは、高齢化社会の増大する医療費負担に経済が耐えられるのかという問題がある。

高齢化すればするほど医療費の単価の高い高齢者の医療費が嵩むことになる。 従って、医療費の加速度的な増加を食い止める一方で医療の質を高めるという一見相反する要請を同時に実現する必要がある。
そのためには医療改革が必要である。 一方で医療の質を高めて国民の健康水準を改善し、その結果として国民医療費の削減を図る。
そうした改革の中で新しい技術や仕組みを活用した医療産業が発展し、新しい雇用が創造される可能性を追求していく。 これが小泉政権の進める「明るい構造改革」の医療に関する考え方である。
とりわけ医療情報に関する新しい社会サービスと、それを担う新しい雇用創出の可能性を追求する必要がある。 医療・健康づくり支援サービスその一方で、現在の日本の医療体制にそれなりのメリットがあることも事実である。
つまり日本では国民皆医療体制、国民皆保険、ユニバーサルアクセスの体制が確立されており、誰もが医療サービスに手が届く。 これは欧米に比べて大変な長所である。
例えばアメリカの場合、医療保険に未加入の人が四場合には治療は受けられるが、その費用は誰も支払わない。 そのため、膨大な未払い費用が積み上がり、大きな社会問題になっている。
ヒラリ− ・クリントン上院議員がクリントン政権時代に医療の国民皆保険化を提案したが、産業界の反対で実現しなかった。 医療保険の問題はアメリカ社会の大きなアキレス臆である。
欧州の場合はアクセスが悪いことが問題である。 イギリスや北欧諸国は治療が無料になっているから、歯医者のアポイントが三カ月も先になり、医者に行っても、緊急の場合は別として平気で二、三カ月待たされる。
自由診療といって正規の一O倍くらいのお金を出すと裏口で閣の診療をしてくれるということも聞く。 大変な問題である。

日本ではそういうことはない。 その意味では日本の体制は良くできている。
日本では、二疋の水準の医療サービス、国民皆医療体制、誰もが安心できるナショナルミニマムニなどが確保されている。 ある意味で日本は、かつての社会主義国も顔負けの平等な医療を実現した日本型医療は多くの矛盾と欠陥も抱えている。
その第一は、非効率性である。 例えば入院した場合の平均的な在院日数は欧米に比べて数倍長い。
なぜかと言えば、要するにベッドも医師も病院も過剰だからだ。 過剰だから、患者を長くベッドに寝かせておける。
ベッドに寝かせておくと診療報酬が得られるという制度も絡んで、在院期間が長期化することになる。 第二は、薬づけとサービスの悪さの問題である。
薬づけは診療報酬と関係がある。 日本は知的なアドバイスや情報提供に対する診療報酬の単価が低く、その代わりに注射や手術など物的な治療の単価が高い。
そのことが薬づけ治療をもたらした。 サービスの悪さは、「三時間待ちの三分医療」や説明不足、誤診、セカンドオピニオンのとり難さなどに表れている。

コ二時間待ちの三分医療」は、日本の医者が忙し過ぎることに原因がある。 アメリカでは、一人の医者に麻酔や事務やセクレタリーなど二O人ぐらいのコメディカルというスタッフが付き、医者は患者に集中できるようになっている。
だから、あまり患者を待たせないし、時間をかけて相談や説明をしてくれるが、日本の場合は医者が在庫管理や看護師の給料計算までやるなど仕組みが悪い。 結局説明不足になるし、誤診を引き起こすことにもなりかねない。
第三は、患者にとって治療の選択の幅がほとんどないことである。 保険適用の医療と適用外の医療を組み合わせた治療を混合診療と一言うが、日本は混合診療を禁止している。
そのため、患者が様々な診療行為の中で一つでも保険適用外の自由診療を頼むと、それ以外のすべてが自由診療として扱われてしまう。 例えば乳癌の手術をした後で乳房を復元するという場合、乳首だけを復元する場合は保険が適用されるが、乳房を復元する手術をするとなると保険は適用されない。
そのため豊胸手術を組み合わせると、保険が適用される乳首の復元から癌切除の費用まですべてが自由診療とされ、保険適用だったら数万円で終わるところが数十万円もかかってしまう。 そのため多くの患者が傷口を残したまま退院し、後で豊胸手術を受けるという馬鹿げたことを強いられている。
これ以外にも世界最先端の治療で日本では認められていないものが随分ある。 その一つでも組み合わせると懲罰的なコストがかかるため、日本の国民は優れた治療技術や医学の進歩の恩恵に十分にあずかれていない。
要するに日本の医療体制は、開発途上国としては見事なものだが、成熟した先進国の需要に応えるには多くの問題を抱えているのである。 第四は、日本の医学界が依然として明治時代のドイツ医学以来の体質を引きずっていることである。
例えば、人間というものをたんぱく質とカルシウムの固まりとしてとらえ、生命体としてはみていない。 病気やけがを科学的に分析して治すことはするが、生きた個人を全体としてとらえて、その人間性や気力や幸せなどを考えることはしていない。

日本の医学界、医師会の保守性も問題である。 日本には二五万人の医者がいて、うち二O万人近くが医師会に加入しているが、そのほとんどは町のお医者さんであり、新しいことをあまり勉強していない人も多い。
最後は、医学界の閉鎖性である。 診療過誤や医療ミスがあっても、その実態や原因がきちんと報告されていない。
不透明であり、閉鎖的・排他的であり、患者に十分な情報開示がなされてない。 そのことが最大の問題である。
相互に情報を共有することによる信頼感や切嵯琢磨、進歩などは、日本の医学界にはあまり期待できないのが現状だ。 象徴的なのは医療情報化の遅れである。
現代日本の医療は、世界的にも進んだ国民皆医療とユニバーサルアクセスが確保されている一方で、先進国らしからぬ情報開示の遅れという矛盾を抱えている。 そのため医療機関や医者の質を評価することは容易ではない。
つまり、優れているかどうかが分からないのである。 そうなったのは、医者は皆正しい処置をしているのだから、それを評価する必要はない、国家試験を通っているのだから、皆均質なサービスを提供しているのだ、という厚生労働省の基本的な考え方があったからである。

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